2005年05月03日
人間とは。
人間とはうっかりする生き物である。
尼崎の転覆事故を見てもそう思った。あの大惨事もうっかりが発端であった。
「うっかり」という文字面のなんとも間抜けな感じは過不足なくうっかりの本質を表現しているが、このコミカルな言葉に惑わされてはいけない。
なぜならうっかりは人間の本質でもあるからだ。
あの事故、事の重大さ悲惨さを十分わかっていてもどこか他人事のように現実感に乏しく考えているフシが私にはあった事を正直に言う。
ところが弟が同じ時刻に逆方向に向かう電車に乗っていたとか人づてに昔一緒に仕事した人が乗っていた(後ろの方で大丈夫だそうだ) なんて聞いてやっと実感として戦慄した次第。私にも数多くのうっかりがある。バカなのである。
このうっかりとあのうっかりは同質のものである。極論すればその後に続く事の次第の重要さが大きく違うが同じ質のうっかりなのである。
うっかりとは、安心の裏返しであり過信の裏返しでもあり視野狭窄であり思考停止から発生する。間抜けであるがそれは「例外」 として自分自身に認知されトラブルとは自分以外のどこかで発生するという勘違いから起こりうる。
メロウライフ的にはずっと扱いやすい「羽田の管制塔閉鎖した滑走路にバンバン誘導」 なんて考えようによってはもっと恐ろしく不可解である。
管制官18人全員閉鎖を忘れてました。
家族だって18人もいれば(なかなかない)一人ぐらいは分別ゴミの日を思い出しそうだし、 一ヶ月前にもらったおまんじゅうの賞味期限が今日切れるくらいは思い出しそうではないか。
なんて間抜けなうっかりか。
と、同時にまんじゅうは賞味期限切れでも良いけれど閉鎖した滑走路に誘導するのは事の重大さが違うというモノだ。 まんじゅうを引き合いに出せるのは幸い大惨事には至らなかった「だけ」とも言える。
大体18人に忘れられては十八重に確認しても忘れるということかと恐怖するじゃあないか。どんな伝言ゲームかという気もする。
どうも真相は一ヶ月前に知らされて当日再度徹底するのを忘れてた。ということらしい。 つまりはこのうっかりは17人の責任と言うよりは、1人の責任者のうっかりが原因のようだ。 偉いさんが罪をワリカンして発表したような気もして組織って感じもする。
ここで気になるのは航空管制塔には「ホワイトボード」とか「コルクボード」とか「酒屋のカレンダー」も「張り紙」 もどうやらないようだぞ。ということであり、空港が閉鎖したらランプ消えます的なボウリング場のようなシステムもないようだぞ。 ということだったりする。
ここにはシステム的なうっかりがある。
と、同時に管制官たちは尼崎の事故をうっかりと見ていたことも見逃せない。
人間の本質はうっかりである。
それが故にうっかりでは済まない事はうっかりしたとしてもなんとかなるようにせねばならないと思うのである。
しかしそのせねばならない事をせねばならない人もうっかりしていたら何も行わないのである。
あのうっかりもそのうっかりも、今ここにあるうっかりも。すべては同質のうっかりであることを忘れてはならないのだな。と、 つくづく私は思ったのである。そしてそれを忘れないように書いとこうと思ったのである。
なぜなら人間は懲りない生き物でもあるからだ。
(今回は割合真剣に思ったりした)
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