2005年08月01日
いくらなんでもヨーヨーは切ない。
私は貧乏性です。
ただの貧乏性ではなく実際に貧乏なので、スジ金入りのマジ貧乏性と言えましょう。「貧乏性」
というのがなんか「自律神経失調症」と同じく「貧乏症」」という病気ではないかと心配になるほどです。
そんな貧乏な私ちがう貧乏性な私が唯一「これは貧乏性らしくないなあ」と思うのが、コンビニで買い物をするとき 「景品がついている商品を避ける」ということです。ええ。なんか最近お茶とかについているでしょう? ストラップとかあぶらとり紙とか。使わないからゴミになると思うのですね。
あぶらとり紙なんてアナタ、こーんなちょっぴりついていても猛烈に汗っかきな私です。 このシーズンなら湖を歩いて渡れるほどなのです(ミズスマシかいな)。 そんな私にこんなちょっぴりあぶらとり紙つけても無駄。水取りぞーさんでもつけんかい。てなものです。
もうひとつ、私には自分でも意外なほど「収集癖」というのがまったくないのです。 コンプリート魂にまったく欠けます。メロウライフをご愛読のみなさんならなーんとなくありそうだと思うではないですか。 ないのです。まったくないのです。
むしろ「積極的に欠けようじゃないか」というような気概があるようで(あってどーする)、 マンガの単行本を買うときも「1巻を買ったから2巻はまあまあ買わずに3巻を買ってみよう」 みたいな自分でも理解できない行動を取ることがしばしばあるのです。 んでもって読んでもわからないのです(あたりめーだよ)。
こんな私は飲料メーカーにとっては手強い敵と言えるでしょう。
みなさん。左上の写真をチラ見して先が読めた的な優越感に浸ってらっしゃいますでしょうか?
残念ながらその通りなのですが、まだそこまでに行き着かないわけです(斬新)。
で、コカコーラの復刻版を買ったのですが(すぐ行き着いた)、さすがにこれはいけません。
コカコーラ復刻版に「スーパーヨーヨー復刻版」までついてしまってわっ!
まだ私がいたいけな肥満児だった頃、 猛烈に流行ったスーパーヨーヨー。
とにかく今でも「犬の散歩」と聞くとパブロフ的にヨーヨーが頭に浮かぶほどに遊んだ物です。 近所のスーパー、ハクショウの店頭には「ヨーヨー世界チャンピオン」 がやってきて私はスーパーハクショウ部門のチャンピオンだか努力賞だかを (ゼンゼン違うじゃねーか)もらったのです。今にして思えば世界チャンピオンの外人がなぜ地方のスーパーにいたのか。 これは現在に至るまで解明されない謎ではありますが。
でも当時まさにアメリカそのもののコカコーラロゴの入ったこのヨーヨーは悲しかった。
確かいろんな種類のヨーヨーがあって一番かっちょいいのはコカコーラのフチが透明なヤツで、それも持っていたはずなのです。 何種類かあったのです我が家にも。だのになぜ。歯を食いしばり。すぐに無くしてしまい手元に残るのは必ず「ファンタ」 とカタカナで描かれたやつと「ミスターピブ」というあだ花みたいな(でも好きでした) ロゴのヤツが残っているのです。「ミスターピブ」なんて茶色です。 大人になってからは好きな色でもそんなあまりにもシックな色ヤではないですか。
悲しかった。持っているハズなのに、買ったハズなのに友達と遊ぶときは「ファンタ」あるいは「ミスターピブ」 (どうも語感が気に入ったらしい)。思えば「ファンタ」もシックなネイビーブルーではなかったでしょうか。
そんな甘酸っぱくも悲しい思い出のスーパーヨーヨー。
復刻したなら買わずんば固辞をせず(間違)。
値段も250円。買うでしょう。
最も美しいプロダクトデザインといわれる瓶のコーラにスーパーヨーヨー。私は迷わずかごに入れました。 パッケージを見ると8種類にシークレットが一個、どれかが入っているようです。しかも「ミスターピブ」 はなかったことになっておりより切ない。無いしな現物が。
震える手でその紙パッケージを開けて私はしばし、ノスタルジックな思いと切なさに涙を禁じ得ませんでした。

オチはばれてても強行突破。これが私の方針です。ゼッタイ。
(我ながらヒキが強い)
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